人との関わりの中で、相手に腹立たしさを感じたり、怒りで震えるような思いを抱いたことは、誰しも一度はあると思います。
最近、シショー(人生の師匠:息子)とのやり取りで『許す(ゆるす)』ということを改めて考える機会がありました。
今回はその時のエピソードを交えて『許す』、そしてその先にあるものについて考えてみます。
もし今、ネガティブな感情でしんどくなっている方がいましたら、こころが穏やかになるきっかけになれば幸いです。
傷つきの例
知っている人
たとえば、日ごろ親しくしている友達が、実は陰で自分の悪口を言っていた…ということを別の友達が教えてくれたとします。あるいは、夫が長年不倫をしていて、お相手にマンションを買ってあげていたことがわかった…とでもしましょう。
「信じられない!」
「わたしが何をしたっていうの?」
「ずっと騙していたのね!」
このように、怒りと不信感で相手を罵倒する言葉が山ほど溢れてくるでしょう。
そして『許せない!』という思いが湧いてきて、相手との接し方も変わっていきます。
知らない人
たとえば、街を歩いているときに前から来た人がドン!とぶつかってきました。もちろん謝りもしません。または、駅の改札に入ろうと並んでいたのに、横から割り込んできた人が先に通っていったとしましょう。
「は?ちょっとなに?」
「怪我したらどうするのよ!」
「ルールってのを知らないわけ?」
怒りの感情は湧くものの、知らない人だとどんな人かもわからないから、言いがかりをつけられる怖さもあって何も言えなくなってしまいますね。やり場もなくモヤモヤしたまま泣き寝入り…ということがほとんどでしょう。
このような時も『許せない!』という感情が湧いてきて、気持ちがささくれ立ってしまいます。
許す/許さない
何かの出来事(例えば悪口や不倫など)に対して「これは悪いこと」と思うことで『ゆるす/ゆるさない』という判断になります。
人間は“感情”の生き物です。そして、その感情は潜在意識に深く埋め込まれるため無意識に“行動”に現れます。それにより、別の出来事が起きても関連付けて結論を出してしまいがちです。
例えば次のような流れです。
出来事:友達が遠くで誰かと話している
↓ (こころの声)
またわたしの悪口を言っているに違いない
↓ “感情”
悲しい
↓ “行動”
話しかけられても無視する
出来事:夫が携帯電話を見ている
↓ (こころの声)
不倫相手と連絡をとっているに違いない
↓ “感情”
腹立たしい
↓ “行動”
口をきかない、目を合わせない
一度感情と行動が結びついてしまうと、正しい状況判断や円滑なコミュニケーションが取れなくなってしまいます。
エピソード
先日こんなことがありました。
シショーが、食材を買いにスーパーに行ってきてくれました。帰ってきたと思ったら、なぜかすぐに「ちょっともう一回行ってくる」と言って出ていきました。
そしてまたすぐに帰宅したので
「どうしたの?」と聞くと
「買ってカウンターに置き忘れた食材があったから見に行ってきた」と冷静に答えるシショー。
「あった?」と聞くと
「もうなかった」と…
(盗られちゃったかー…)
昔のわたしなら、ここで速攻怒りモード
「はー!?なんで?」
「袋に入れないなんて信じられない!」
「振り返ればわかるじゃん!」
今思い返しても、本当にゲンナリします…
「そっか、物価高だしね。カウンターにあったら持っていきたくなるよね」
そう言って慰めた時、シショーは言いました。
「おいしく食べてもらえればそれでいいよ」
そして、まるで何事もなかったように、いつもの生活に戻ったのです。
シショーのこの思考は、当然(昔あんなことを言っていたような)わたしが教育したわけではなく、生まれながらにして持ち合わせたパーソナリティです。
もちろん置き忘れたことは反省していましたが、過剰に自分を責めたり、ましてや盗んだであろう誰かのことを蔑(さげす)むような言葉は一切口にしません。
シショーはこれを、幼いころから実践している人でした。人と争うことを好まず、かけっこでさえ、みんなわれ先にと走る中、その様子を満面の笑みで見送りあとからゴールするような人でした。
中学校時代、不登校になったときも、恐らく(本当の気持ちはその人にしかわからないけど)誰かを責めるより距離を置くことを選んだからではないかと思っています。
たとえネガティブな感情が湧いたとしても、言葉にしたりあからさまに態度で示したりすることは、今もありません。
これまでもシショー(師匠)から教わることは多々ありましたが、今回のこの一件で改めて『こころの在り方』について学ぶ機会となりました。
許す(ゆるす)とは?
人を『許す』ということは、相手のしたこと(傷つけられたことや嫌な出来事)に対して、怒り・恨み・こだわりを手放すことです。
そのために大切なポイントが4つあります。
- 自分のためにする行為である
苦しみや執着を持ち続けると自分が疲れてしまうので、それを手放すための選択です - 忘れることではない
記憶は残ってもいいし、無理に消す必要はありません - 相手を正しいと認めることでもない
「許す=相手が悪くなかった」とすることではありません - 必ずしも関係を続けることではない
許しても距離を置いたり、関係を終わらせたりしてもいいのです
つまり『許す』という行為は、
「相手のため」というより
「自分が楽になるために手放すこと」
ということになります。
これを実践することができれば、過去に縛られて苦しいと感じている人も、現在の自分に戻ることができるかもしれません。
わたしも今回のようにシショーを責めることなく、共感的に労わってあげられるようになるまでは、多くの経験と時間が必要でした。
『許せない!』という感情を手放すことは、そう容易いことではないですから…
許す(ゆるす)の先にあるもの
では『許す』という行為の先には何があるのでしょう。
たとえばこのようなことが考えられます。
- こころの自由
相手のことを考える時間が減り、自分の時間が増えることで思考や感情に余白ができます - 感情の静けさ
波が収まった状態になり、穏やかさを取り戻すことができます - 選択の自由
関係を続けるか、距離を取るか、きっぱり離れるかを、感情に引きずられず「自分の意思」で選べるようになります - 理解や再解釈
相手を見る「見方(視点)」が変わることもあります - 境界線の明確さ
「もう同じことは受け入れない」という自分の基準がはっきりします
自由、自分という『自ら(みずから)』という文字がキーワードです。
師匠からの学び
枠組みの理解
ゆるす / ゆるさない
この状態はどんな状態だと思いますか?
実はこれ、“裁く枠組み状態” なんです。
つまり、立場・目線が上からになっているということですね。
「あの子のことは絶対許さない!」
「夫のことなんて一生許せない!」
友達も夫婦も、本来はフラットな関係のはずですが、この言葉の裏には『相手より自分は上の立場にあり、相手を裁く権利を持っている』という意味が含まれています。
この枠組みに気づくことが、怒りや恨みの感情が捨てられない相手との関係を再構築するための『第一歩』です。
そもそも論と解決策
法廷じゃあるまいし、裁き裁かれる枠組みの中にいては、友達や夫婦の関係は良くなりません。
もちろん道行く知らない人であってもです。
そもそも対等な立場なのですから…
そこで、改善するためにできる方法は、
『出来事の見方を手放す』ことです。
手放すことで、いったいどうなるでしょう。
- 相手の行為は「ただの出来事」として認識される
- 自分の感情は感じても、それに“結論”をつけない
- 「許すべきか?」という問い自体が消える
基本は“善悪や評価で処理しない”ことです。
ただこれは「何でも受け入れる」という意味ではありません。怒りや恨みという感情で判断するのではなく、事実と自分の状態ベースで淡々と選ぶことが大切です。
つまり…
執着や評価を手放して、事実だけを見る
という状態です。
友達に悪口を言われた、夫が浮気した…これらの出来事ひとつひとつに振り回されないためには、それなりに訓練が必要です。
個人差もありますが、わたしはこの訓練に4年以上を費やしました。心理学や心理療法、マインドフルネス瞑想など、手放すために自分と向き合い、カウンセラーであっても時にはカウンセリングも受けました。
でもこの域に辿り着いたときの解放感は、何よりの癒しとなり、過去の出来事にはすべて意味があり、感謝に値するものだと理解できたのです。
この訓練をせずして持ち合わせていたのが
シショーでした。恐らく人生数百度目の人です。
わたしが怒っているときは
反論せず受け止め(受容)
楽しそうにしているときは
一緒に笑い(共感)
泣いているときは
黙って聞き(傾聴)寄り添ってくれました。
もちろんお互いに違うなと思った時には意見を言い合いますが、大概わたしの偏りを修正する必要があり、諭されて終了ですが…
親としても人としても未熟だったわたしを、匙を投げることなく、根気強く見守ってくれたシショーを『人生の師匠』と呼ぶのは、生まれながらにしてこれらの実践者だからです。
ネガティブな感情は表情や行動に現れ、周りの人にも影響します。それを理解したうえで、上からでも下からでもなく、フラットにただ事実を見つめ、相手を尊重する生き方をするシショーを、これからも見習っていきたいと思います。
あなたにとっての『人生の師匠』は誰ですか?
年齢や立場に関わらず、学びを与えてくれる人が近くに遠くにいるはずですよ。
